ざっくり解説:吸収スペクトル

化学、特に分析化学や光化学でよく見られるが、初見の人にはいまいちピンとこない吸収スペクトルについて解説する。詳しい解説や測定原理などは測定機器メーカーのサイトに載っているので、このページでは学生実験で初めて触れたというような初心者が直感的に理解できるよう、なるだけかみ砕いて説明する(図を追ってもらえば大体わかると思う)。また、後半では研究室にて実際に吸収スペクトルに触れている人にも向けて、得られたスペクトルからどのようなことがわかるか、現場ベースの解説も載せる。

吸収スペクトルとは:

  • その物質が光の各波長をどれくらい吸収するかを示す
  • 測定によって物質をある程度同定できる
  • エネルギー状態の違いがわかる

吸収スペクトルから得られる重要な情報は①吸収波長、②モル吸光係数。

吸収スペクトルについて理解するための前提知識

まずはこのページを理解するのに最低限必要な前提知識から。化学系の学生なら既に学習済かと思うが、そうでない人たちのために念のため。

物質は光を吸収、反射・散乱、透過する

図1.光の吸収、反射・散乱、透過

物質に光が当たると、吸収(物質内の電子の励起に使われる)、反射or散乱(光を跳ね返す。反射と散乱の違いはここでは割愛するが、いずれも光の進行方向が変わる)、透過(何の作用もなく通り抜ける)のいずれかが起こる。これらは物質や光の波長によって起こる起こらないが決まる。めちゃくちゃわかりやすいのでいくと植物の葉は緑色だが、これは葉(に含まれるクロロフィル)が450nm付近の光(青)と680nm付近の光(赤)を吸収しており、約500~600nm(緑)を全て反射しているからである。もし可視光領域に透過光があれば葉は透けて見える。

物質が光を吸収すると、物質内の電子が励起される

図2.光の吸収と電子の励起

物質が光を吸収すると、基底状態の電子が励起されて励起状態になる。基底状態は普段の安定な状態、励起状態は高エネルギーの状態と覚えておけば良い。物質や発色団毎に、電子を励起するために最低限必要なエネルギーが決まっている。電子は光(=エネルギー)を吸収すると高エネルギー状態になり(励起)、このエネルギーを他の何かしらに使うことができる状態になる。例えば蛍光分子では励起された電子が緩和する(基底状態に戻る)際に、これらの励起・基底状態間のエネルギー差に該当する波長の光を発する(蛍光)。太陽電池では励起した電子を電流として取り出す(厳密には電圧が生じる)ことで、外部回路での電流の利用が可能となっている。他には化合物に励起電子を渡して特定の反応を促進するなど(触媒)。

教科書内で励起されがちな物質としては色素分子、芳香族分子、半導体、金属錯体など。前二つの有機分子はHOMO-LUMO間の遷移(電子移動)、半導体ではバンドギャップをまたいだ価電子帯-伝導帯間の遷移、金属錯体は金属カチオンと配位子間の遷移によって励起状態になる。

吸収スペクトルとは

さて、吸収スペクトルとは、横軸が光の波長[nm]あるいは波数[cm-1]など、縦軸が吸光度[-]のグラフで、各波長における吸光度のスペクトルである。吸光度は光の吸収の程度、スペクトルは光を含む電磁波の波長毎の強度分布と思ってもらって大丈夫。つまり、各波長における光吸収の大きさのグラフである

図3.クロロフィルの吸収スペクトル。吸光度が大きいほど、その波長の光をよく吸収する

上はクロロフィルの吸収スペクトルである(実際の測定データではなくあくまでイラストである点はご留意を)。冒頭の前提知識の話を思い出すと、450nm(青)、680nm(赤)周辺がピークになっている。これは吸光度が大きい、すなわちこれらの波長での吸収の程度が大きいことを示している。また、赤よりも青を良く吸収することもわかる。吸収スペクトルでは縦軸の値を示さない場合も多い(任意単位[a.u.]など)が、スペクトルとして見る場合はそこまで問題ではない。

かの有名な(?)ランバート・ベールの法則についても説明しておく。

図4.ランバート・ベールの法則の概念図

\(I(l)=I_0e^{-\epsilon Cl}\) (\(I(l)\):物質中を\(l\)だけ伝搬後の光強度、\(I_0\):入射光強度、\(\epsilon [\rm{cm^{-1}\cdot mol^{-1}L}]\):モル吸光係数、\(C [\rm{mol\,L^{-1}}]\):溶液の濃度、\(l[\rm{cm}]\):光路長)

これを変形した吸光度\(A=-log_{10}(I(l)/I_0)=\epsilon Cl\)を各波長について示したものが吸収スペクトル。つまり吸収スペクトルから吸光度の絶対値がわかれば、モル吸光係数\(\epsilon\)や濃度\(C\)についての情報が得られる。モル吸光係数と聞くと小難しいが、物質1 molが光路長(光が物質内を伝搬する距離)1 cmのときに吸収する単色光の吸収係数である(なんなら物質・波長毎に固有の比例定数と覚えておいても問題ない)。注意してほしいのは、吸光度とモル吸光係数は波長毎に決まった値を持っている点である。例えば\(A_{450}\)や\(\epsilon_{680}\)という表記がされることがあり、これらはそれぞれ450nmにおける吸光度、680nmにおけるモル吸光係数である。物質によってモル吸光係数は決まっているため、\(\epsilon\)既知の物質は吸光度を測定することで濃度がわかる(\(l\)は測定系次第だが大抵1cm)。

また、物質によってモル吸光係数が決まっているということは、同じ化合物は概ねいつでも同じ形状の吸収スペクトルを示すということである(吸光度は濃度や光路長で変わってしまうので、規格化して比較する必要がある)。このことから、合成した化合物が目的の化合物であるかを確認するのにも使える。細かいことを言うと、光を吸収できるようなエネルギー準位、例えば官能基や共役系によって吸収できる光の波長が概ね決まっているため、生成物を予想できたり、同定の目安にできるというわけである。但し、温度や溶媒の極性によって吸光度や吸収波長が変化したり、不純物が含まれる場合はその吸収まで反映されてしまうため、物質同定ではなくあくまで目安程度にとどめることが多い。

溶媒の極性による吸光度・吸収波長の変化は、エネルギー状態の違いがわかるという点に対応する。呈色化学種(色のある物質)は光を吸収して励起されると分極状態になることが多い。つまり、化学種内で+と−の偏りが生まれる。極性溶媒(分子内に+と−の偏りを持つ溶媒)中では電気的な相互作用によって励起された化学種が安定化されるため、吸収ピークはレッドシフトする(低エネルギー側にシフトする)。他には官能基の導入により共役系が拡張されてHOMO-LUMO間が狭まったり、二量体の形成で安定化されて吸収ピークがレッドシフトするなど。安定化される=エネルギー的に低くなる->吸収波長は長くなる(レッドシフト)、くらいの認識でOK。

実際の吸収スペクトル測定においてはどうなのかというと、私の場合は無機材料合成をやっているので、目的とする半導体化合物が得られているかの確認が主な使い方である。ヘテロ接合体ナノ粒子(二種以上の半導体がくっついたナノ粒子)のようにバンドギャップの異なる物質が含まれている場合、それぞれの半導体の吸収を足したようなスペクトルが得られるはずである。バンドギャップが狭い方の半導体の吸収スペクトルと比較して立ち上がり位置が短波長側にある場合はヘテロ接合体ではなく固溶体の形成を疑い、長波長側にシフトした場合はナノ粒子の過成長(詳しくは量子サイズ効果を参照のこと)、あるいは副生成物の存在を疑う。また、発光性の粒子を合成することもあり、この発光が合成に用いた有機分子由来でないかの確認をしたりもする(有機分子の吸収がなければ、有機分子がサンプル溶液中に混じっていないことが保証される)。もっと理学寄りの研究をしている人ならより詳細にスペクトルをみて解釈するのだと思うが、私は正直そこまで見ていない。例えば励起子ピークなど特定の遷移を確認し、その強弱の由来を究明するなど、電子遷移の理論の深掘りには非常に役に立つ情報を得られる測定であることは間違いない。

また、半導体ナノ粒子サンプルの粒子濃度を求めるのにも使える。色素分子・蛍光分子の場合はモル吸光係数が既知の場合が多いのでやりやすいが、半導体ナノ粒子ではサイズと組成によってバンドギャップの大きさが変化し、これに伴って吸光度が変化してしまう。このような未知のサンプルの場合は、TEM等でナノ粒子の形状・サイズを求め、蛍光X線分析等を使って吸光度がわかっているサンプル中の元素の組成・濃度を求めることでナノ粒子のモル吸光係数が得られるので、これをもとに以降の実験では吸光度を測ってナノ粒子サンプルの濃度を求めている。

まとめ・補足

以上、吸収スペクトルについて軽く解説した。光の吸収具合を表したグラフで、物質によって概ね決まったスペクトルを示す、ということがわかっていれば概ね困らないと思う。もっと言うと、励起される準位や電子の遷移に関しての情報を含むデータである。吸収ピーク波長は化学種や発色団によって決まっているので、未知の吸収スペクトルから物質を大体同定することもできるが、物質同定に関しては有機化合物ならNMR(核磁気共鳴)分光法やMS(質量分析法)など、無機化合物ならXRDやSTEMの方が確実なのでそちらに譲る方が無難である。これらの測定と比較すると、吸収スペクトルは測定が簡単であることが大きなメリットといえる。

補足:実際の測定で困ることなど

・吸光度測定は基本的に透明溶液を試料として実施する。吸光度計のほとんどは試料に励起光を当ててまっすぐ透過した光を検出しているが、これは冒頭で述べた反射・散乱が一切起こらないことを前提としている(透過光=入射光−吸収)。これが半透明であったり濁っている、すなわち反射・散乱を起こす物質が含まれている場合(μmオーダーの粒子を含む溶液サンプルなど)では、吸光度は正しく測定されない。なぜなら、透過しなかった光が全て吸収されたわけではないからである(透過光=入射光−吸収−(反射・散乱))。反射・散乱された分も吸収されたと見なされ、スペクトルのベースラインが浮きあがってしまう。このようなサンプルでは吸光度測定は推奨されず、代わりに拡散反射測定などが使える。

・基本的なことだが、サンプル溶液は適切な濃度でなければきれいな吸収スペクトルは得られない。濃すぎると吸光度がサチュレーションして上で切れたようなスペクトルになり、薄すぎるとノイズの影響が強く出てスペクトルがガタつく。

・吸収測定用のセルが汚れていないか、いつでも確認しておいた方が良い。これはマジ。指紋はもちろんのこと、ゴム手袋で触れた面にも意外と跡が残っていたりする。これでも測定に影響が出る。

・吸収スペクトルの立ち上がりが緩やかである場合、特に半導体ナノ粒子では副生成物の存在が疑われる。立ち上がりのあたりを拡大して見たらより長波長側にシャープな立ち上がりがあった、なんてこともありうるため。それか単分散でなく、組成分布・サイズ分布が大きいか。他の分析と合わせての判断が必須。